ペルー 大使 館 占拠 事件。 在ペルー日本大使公邸占拠事件の真実!なぜ日本人の人質は全員助かった?|エンタメになる!

在ペルー日本大使公邸占拠事件について

ペルー 大使 館 占拠 事件

しかし、あの事件により人質になられた方、或いは家族の方に大変な苦痛を与えたということもあり、また国民の皆様、或いは世界全体に対しても大変な御心配をおかけした。 外務省としても大変重大な事件であったと考えており、同事件の事実関係の解明、そして将来に向かって外務省としていろいろ改めるべきところは改めていく。 そのために、どのような対処をすればよいかということで特別の調査委員会を事務次官をキャップにして作り、調査、検討を進めてきたことは御高承のとおりである。 本日、同調査委員会の結論が出て、先ほど報告を頂戴した。 皆様方のお手元にも、既に調査報告書が届いているかと存じている。 御承知のとおり、3部構成になっており、第1部では、事件発生から解決、そして今日に至るまでの事実関係の究明、或いは反省点、今後の改善点についての調査、分析が記されている。 第2部においては、事件が発生してから終結するまでのいろいろな事態の推移、そして我が国政府の対応について取りまとめ、その評価を試みているところである。 第3部に「事件を振り返って」ということで、これから我が国が在外公館の警備強化について具体的に取っていくべき措置についての提言を行っているところである。 この報告書については、大部なものであり、また皆様方のお手元に既に行っているものであるので、内容について自分があれこれ申し上げることは避けたいと思う。 後ほど御質問があればそれにお答えしたいと思う。 いずれにしても、この調査の結果として、我々は、個別の職員に具体的な職務執行上の落ち度があったとは判断していない。 しかしながら、それでは全く何も問題がなかったかと言うと、そうは思わない。 やはり、治安情報の収集・分析、そういった面において改善の余地はあったと思うし、警備上も盲点がなかったかというと、やはりそうではない。 事後的にいろいろ振り返り、検討してみると「ここは盲点だった」というところも、調査報告書の中でも記述しているところである。 このようなことはあるし、また、このような重大な事件が起き、我が国外交に対する信頼が損なわれた、この責任は非常に大きなものがある。 このように考えているところである。 以上を踏まえ、本日、同報告書を受けた上で、自分(大臣)として、関係の職員について所謂処分というものを行った。 具体的に述べると、先ほど述べたように、職務執行上の具体的な落ち度があったということではないので、所謂国家公務員法上の責任を追求するということには該当しないという判断であり、外務省の内規に基づく処分を行った。 具体的には、外務省の事務方の最高責任者である林事務次官について、内規上の最高処分に当たる厳重訓戒処分とした。 また、原口官房長についても、在外公館の安全を含む所謂外交の実施体制についての責任者であるという立場で、同じく厳重訓戒としたところである。 また、中南米地域の外交を総括する立場にある、当時中南米局長であった佐藤氏についても、その責任ということで内規上の二番目に重い処分に当たる訓戒という処分を行ったところである。 また、当時ペルー駐箚の特命全権大使であった青木氏については、館員の指揮官として任国の治安情勢について情報収集・分析に遺漏なきを期すとともに、それに基づいて公館の警備に万全を期すべき在外公館長として自らの責務を十分全うできなかった、この責任は重大であるということで、内規上の一番重い処分に当たる厳重訓戒としたところである。 以上が職員に関する処分である。 先刻自分(大臣)より直接それぞれ処分を申し渡し、それぞれ受けたところである。 なお、その際、林事務次官より、「事務方の最高責任者である立場にあり、我が国外交に対する信頼を失ったということは本当に重大なことであると責任を痛感している、そのようなことでこの処分を謹んで受けると同時に、自分として給与月額の10分の1相当額を自主的に国庫に返納したい」という申し入れがあった。 自分(大臣)もいろいろ考えた。 そこまで求めるのは、という気持ちもあったが、責任を痛感し、そして事務方の最高責任者として、国民の皆様方に対しても外務省職員全体としての責任を痛感していること、また、将来に向かって外交の信頼回復に向けて全力を尽くしていこうという気持ちの表れということで、この申し入れを譲渡したところである。 以上が今回の事件に関わる処分である。 なお、当然のこととして、今回の事件で我が国外交に対する信頼が失われた、その責任を最も重く負わなくてはならないのは、我が国外交の責任者である外務大臣という地位にある自分(大臣)である。 自分もこれまでいろいろ考えてきたが、今回調査委員会の報告が出たということ、そして職員についても先ほど述べたような処分を行った、このような機会をとらえ、自分としての責任を取りたいという気持ちでいる。 そして、先ほど総理のお目にかかり、事件調査報告を申し上げると同時に、自分として我が国外交に対する信頼を失ったことの責任は誠に大きいものがあると考え、その責めをとる意味で、外務大臣の職を辞させて頂きたいということをお願いしたわけである。 これに対して総理のほうからは「その気持ちもわからないでもないが、自分(総理)としてはそれを認めるわけにいかない。 外務大臣の任務というものはそんなに軽いものではない。 辞めて責任が全うできるというものではない」、このようなお話があった。 その理由としていろいろお話があったが、テロリズムに屈するということをどのように考えるのかということも考えなくてはいけないだろう、屈するか屈しないかということをどのように考えるかということだけではなく、今の日本の外交が抱えている多くの課題、そしてそれに対する適切な対応の大切さということを考えるならば、もし、日本外交の信頼を失ったということについて、君がそれだけの責任を感じているのならば、その責任感は従来以上に外交の責任者として働くことによって、そして自分(総理)を補佐することによって責任を全うすべきではないか懇々とお話があった。 自分として、いろいろな気持ちはあるが、総理のそのような、自分の思い及ばなかった面をも含めたお諭し、そして責任の取り方についてのお話もあった。 この際、職を離れたつもりで、日本の外交の信頼回復のために身を捨てるつもりで、外務省の諸君の力をかりながら、全力で外交の課題に対処し、総理を助けて日本外交の信頼回復と、我が国の外交関係の進展に尽くして参りたい、このように考えているところである。 INDEX 解放までの日本政府の対応、各国の動きについては以下のとおり。 日・ペルー首脳会談(平成9年2月1日 於:トロント、カナダ).

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バングラデシュの今昔とヤラセ疑惑のペルーテロ&週刊文春の青山繁晴氏報道

ペルー 大使 館 占拠 事件

俳優の渡辺謙が9日、都内で行われた映画『 ベル・カント とらわれのアリア』ジャパンプレミアイベントに共演者の加瀬亮と共に来場し、本作出演時に感じたという運命的な縁について語った。 1996年にペルーで起きた日本大使公邸占拠事件に着想を得たアン・パチェットの小説を映画化する本作で、渡辺はテロリストの人質となる実業家を演じている。 本作は、アン・パチェットの小説に基づき、南米国家の副大統領邸でテロリストと人質との間に生まれる交流を描く物語。 大勢の観客で埋まった会場内を見渡した渡辺は「2年半ちょっと前になるんですが、ニューヨークとメキシコでこの映画を撮ってきました。 なかなかハードな内容なんですけど、いろいろな人間の機微が描かれている人間ドラマになります。 そんなに長い作品ではないんですがたっぷりとお楽しみいただければ」とあいさつ。 渡辺演じるホソカワの通訳を演じた加瀬も「ずいぶん前に撮った映画ですけれども、ようやく日本でも観てもらえることになって。 うれしく思います」と続けた。 渡辺は出演の経緯について「このお話が来たのは、(2001年の)911の直後くらいだったんです」と切り出すと、「でもその時は、911の後にテロリストを題材にした映画に出るのはどうなんだろうと。 そういうこともあって遠慮させていただいたんです」と述懐。 それから時を経て、ポール・ワイツ監督が再び手を挙げ、渡辺のもとにオファーが舞い込んだという。 「実は、(本作のモデルになった)ペルーの『日本大使公邸人質事件』の1週間前に、(ペルーの首都)リマにいたんです。 1か月くらいペルーを旅して。 それから1週間後にあの事件が起きたんです」と明かした渡辺は、「そのドキュメンタリーも、事件が解決するまでお蔵入りとなっていたんですが、もし1週間後までリマにいたら僕も巻き込まれていた可能性があった。 だからポール・ワイツがやりたいと言った時に、これは宿命だと。 これをやらないと先に進めないと思い、お受けしました」と経緯を明かした。 なお、加瀬が演じる通訳の名前は、ゲン・ワタナベ。 「実は原作者が、謙さんのファンなんですよ。 だからゲン・ワタナベとつけたんだと思います」と説明した加瀬に対して、渡辺は「俺はこっちの役がいいからやらせてくれと言ったんですけどね。 でも年齢的に無理でした」とジョークを交えたリアクション。 これに対して加瀬が「謙さんの前で、自分の役名を言うときは恥ずかしかったですね」と振り返ると、渡辺も「彼が現場で(語学などで)大変な思いをして、苦しんでいるのを、ある種、頼もしく見ていました。 言ってみれば、そんなに大きな予算の映画ではないんですが、頼もしい後輩がリードしてくれているのがうれしかったですね」とチームプレーを振り返った。 (取材・文:壬生智裕) 映画『ベル・カント とらわれのアリア』は11月15日より全国公開 2019年10月9日 22時04分 【動画】イベントの様子 加瀬亮 加瀬 亮(かせ りょう、1974年11月9日 — )は、日本の俳優。 神奈川県横浜市出身。 アノレ所属を経て、2018年に個人事務所RYO KASE OFFICEを設立。 身長174cm。 人物 生い立ち 加瀬豊(当時は日商岩井勤務、のちに双日代表取締役社長・会長を歴任)の長男として生まれる。 渡辺謙 渡辺 謙(わたなべ けん、1959年10月21日 — )は、日本の俳優。 本名同じ。 新潟県 北魚沼郡 広神村(現:魚沼市)出身。 演劇集団 円を経て2002年からケイダッシュ所属。 世界各国において映画を中心にテレビドラマ、舞台、テレビコマーシャルと幅広く活躍している日本を代表する俳優の一人。 在ペルー日本大使公邸占拠事件 在ペルー日本大使公邸占拠事件(ざいペルーにほんたいしこうていせんきょじけん)は、1996年(平成8年)12月17日(現地時間)に、ペルーの首都リマで起きたテロリストによる駐ペルー日本国大使公邸襲撃および占拠事件。 翌1997年(平成9年)4月22日にペルー警察が突入し人質解放されるまで、4か月以上かかった。 在ペルー日本大使公邸人質事件ともいう。 概要 襲撃・占拠 1996年(平成8年)12月17日夜、ペルーの首都リマの日本大使公邸では、青木盛久駐ペルー日本国特命全権大使をホストとして、恒例の天皇誕生日祝賀レセプションが行われていた。 午後8時過ぎ、当時空き家となっていた大使公邸の隣家の塀が爆破され、覆面をした一団がレセプション会場に乱入し、制圧・占拠した。 一団は、ネストル・セルパをリーダーとするトゥパク・アマル革命運動(MRTA)の構成員14人で、その場にいた青木大使をはじめとする大使館員やペルー政府の要人、各国の駐ペルー特命全権大使、日本企業のペルー駐在員ら約600人を人質にした。 その後セルパは、「逮捕、拘留されているMRTA構成員全員の釈放」、「国外に退避するまでの人質の同行とそれに対するセーフ・コンダクト」、「アルベルト・フジモリ政権による経済政策の全面的転換」、「身代金の支払い」という4項目の要求を提示した。 When you login first time using a Social Login button, we collect your account public profile information shared by Social Login provider, based on your privacy settings. We also get your email address to automatically create an account for you in our website. Once your account is created, you'll be logged-in to this account.

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リマ症候群。 在ペルー日本大使公邸占拠事件の真実。を読んで

ペルー 大使 館 占拠 事件

詳細は「」を参照 12月17日 、の祝賀レセプションが開催されている大使公邸にテロリスト集団(MRTA)が闖入して、公邸を占拠、大使を筆頭とする大使館員に加えて、ペルー政府の要人、各国の駐ペルー大使、日本企業のペルー駐在員ら約600人をにした。 同日、MRTAは女性と高齢者の人質を解放して犯行声明を発出。 12月中に、によるとの電話会談や、現地入りしたによるフジモリ大統領との会談が持たれている。 に入ってからも、フジモリ大統領は各国要人との会談やMRTAとの交渉を積極的に設けた。 その結果、断続的に人質を解放することに成功して、1月26日までに大使公邸に籠る人質は72名となった。 しかしその後は事態が膠着化する。 同年4月22日、ペルーの特殊部隊が チャビン・デ・ワンタル作戦 (、)を発動して大使公邸に突入してテロリスト14名を全員殺害、これにより事件が解決した。 同年5月10日、橋本首相は、人質救出に功績のあった作戦実施部隊を讃えてを授与した。 寺岡洪平 :1957年-1958年• 三浦和一 :1958年-1960年• 三浦文夫 :1961年-1964年• 山津善衛 :1964年-1967年• 粕谷孝夫 :1967年-1970年• 番徹夫 :1970年-1972年• 二階重人 :1972年-1976年• 木本三郎 :1976年-1978年• 長崎弘 :1978年-1981年• :1981年-1983年• 小杉照夫 :1983年-1985年• 藪忠綱 :1985年-1988年• 妹尾正毅 :1988年-1991年• 西崎信郎 :1991年-1994年• :1994年-1997年• 小西芳三 :1997年-2000年• 木谷隆 :2000年-2002年• 成田右文 :2002年-2005年• :2005年-2008年• :2008年-2011年• :2011年-2014年• 株丹達也 :2014年-2018年• :2018年-• アイスランド• アイルランド• アルバニア• イタリア• ウクライナ ()• エストニア ()• オーストリア• オランダ• 北マケドニア• ギリシャ• コソボ• サンマリノ• スウェーデン ()• スロバキア ()• スロベニア• セルビア• チェコ• デンマーク• ノルウェー ()• バチカン ()• ハンガリー• フィンランド• ブルガリア• ベラルーシ• ベルギー• ポーランド ()• ボスニア・ヘルツェゴビナ• ポルトガル• マルタ• モルドバ• モンテネグロ• ラトビア• ルーマニア• ルクセンブルク• 総領事館• アルジェリア• アンゴラ• ウガンダ• エスワティニ• エリトリア• ガーナ• カーボヴェルデ• ガボン• カメルーン• ガンビア• ギニア• ギニアビサウ• ケニア• コートジボワール ()• コモロ• コンゴ共和国• コンゴ民主共和国• サントメ・プリンシペ• ザンビア• シエラレオネ• ジンバブエ• スーダン• セーシェル• 赤道ギニア• セネガル• ソマリア• タンザニア• チャド• 中央アフリカ• チュニジア• トーゴ• ナミビア• ニジェール• ブルキナファソ• ブルンジ• ベナン• マダガスカル• マラウイ• 南アフリカ• 南スーダン• モーリシャス• モーリタニア• モザンビーク• モロッコ• リビア• リベリア• ルワンダ• レソト 総領事館.

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